大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

岐阜地方裁判所 昭和40年(ワ)486号 判決

原告 太田不喜子 外一名

被告 医療法人春陽会

主文

一、被告が昭和四〇年一〇月九日になした

(1)  原告太田不喜子に対する、退職を命ずる旨の

(2)  同大沢弘に対する、本俸二、〇〇〇円を減給する旨の

各意思表示はいずれも無効であることを確認する。

二、被告は昭和四〇年一〇月一日以降雇傭契約終了にいたるまで、毎月二五日限り、原告太田不喜子に対しては月額金二万八、六〇〇円宛、同大沢弘に対しては月額金二、〇〇〇円宛をそれぞれ支払え。

三、訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

原告両名

被告

第一 申立

主文と同旨の判決を求める。

「原告らの請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用は、原告らの負担とする。」

との判決を求める。

第二 主張

一 請求原因

一 答弁

(一) 被告は病院経営を目的とする医療法人にして、現在約七〇名の従業員を雇傭して肩書地に慈恵中央病院を経営し、精神病患者の治療等をなしているものであり、原告両名はいずれも被告に雇傭された従業員で、原告太田は昭和三二年一月一八日から看護婦として、同大沢は同三七年三月一四日から看護人として、それぞれその職務に従事していたものである。

(一) 認める。

(二) ところで、被告法人の理事者たちは医療に関して充分なる見識もなく、またその経験も乏しいところから、その経営は収益本位になされ、加うるに山間僻地の環境と相俟つて、従業員に対する処遇においてはとかく理解を欠き、従業員は一様に労働条件に対する不平不満をもつていたところ、次第に、劣悪な労働条件を改善しようとの声がたかまつて、昭和三六年七月二三日同病院勤務の従業員をもつて慈恵中央病院労働組合が結成され、同三七年四月二九日上部団体たる岐阜一般労働組合に加盟して、以来毎年度春期賃上げ、夏期および年末手当支給、増員要求、退職金獲得等数次にわたり同盟罷業権を行使して、労働条件の向上改善に努力してきた。

(二) 原告ら主張の日その主張の労働組合が組織されたこと、同組合が数次にわたつて同盟罷業権を行使したことのあることは認めるが岐阜一般労組に加盟したことは知らない。その余の事実は否認する。

被告の経営する病院は精神病患者の隔離治療を目的とするいわゆる精神病院にして、医師約八名、看護婦看護人等従業員約七〇名をようして患者約二九〇名を収容しているところ、医師は院長をはじめほとんど三〇才台の若年者で、終戦後に育つた知識人として近代的な労働感覚を身につけていることはもちろん、院長をふくむ理事者もまた、近代病院の経営にあたる者として、前近代的封建的な労働感覚をもつ者などいない。

(三) しかして、原告太田は昭和三八年四月から同四〇年三月までは同労組副執行委員長の地位にあつたところ、同月一五日その執行委員長に選任され、また同大沢は同三八年四月以来同労組執行委員をつとめていたところ、同四〇年二月一九日その副執行委員長に選任され、ともに組合員の信望をになつて熱心に組合活動を推進してきたものである。

(三) 原告らの労組役員歴がその主張のとおりであることは認める。

(四) ところが、被告は当初から右労組の結成を嫌忌し、その組合活動に対しては絶えず反感を示して、その団結を切崩すべく苦慮し、昭和四〇年夏期手当支給斗争が終息するや、懐柔しやすい職制をつうじて組合に対し、理事古田万右衛門・同戸田七右衛門両名を労務担当からはずしたから、組合においても、従来の組合活動の責任を負う意味において執行委員長を退任せしめられたい旨申入れてくるとともに、一般組合員に対しても、従来の斗争方針を改めて労使協調しないことには経営が困難になつて、いずれ閉鎖の止むなきにいたり、全員解雇の憂き目にあうであろうと悪宣伝にこれ努め、もつて組合員間に不安と動揺を生ぜしめて組合活動から脱落させるよう働きかけてきた。

(四) 否認する。

原告らの所属の労組の活動は相当に活発であつたけれども、被告はそれが正当な組合活動である限り、当然のことながら、誠意をもつて団体交渉に応じ組合に有利な労働協約を締結し、勤務時間内における組合活動も業務の執行に支障のない限り許可するなど、可能な限りの便宜を与えていたのであつて、労組の結成ないしはその活動を嫌忌していたことはない。ただ、精神病院なるものの性質上特に規律と秩序が重視されるのは当然であつて、これが保たれなければ病院の存続そのものが期しがたくなる。

(五) そこで組合は組織防衛のために随時組合大会・執行委員会を開いて対策を協議していたが、昭和四〇年九月二一日昼の休憩時間に開かれた、執行委員長退任要請に対する対策協議のための執行委員会が一時間余り執務時間に喰込むことになつたところ、被告理事者らは好機至れりとばかり、時を移さず、執務時間中の組合活動は違法につき執行委員会はその責任をとれと要求して始末書の提出を迫つてきたので、執行委員会はやむなくこれに応ずることとし、同日委員長太田不喜子名をもつて始末書を提出し、この問題は落着した。

ところが、翌二二日被告は、組合からの始末書提出では不可として、原告らに対し個人として始末書を提出せよと要求してきたので、原告らはこれを執行委員会に諮つたうえ、組合活動の責任を組合役員個人の責任に転嫁するのは不当であるとしてこの要求を拒否したところ、被告は同年一〇月九日懲戒処分として原告太田に対しては退職を命ずる旨の、同大沢に対しては本俸二、〇〇〇円を減給する旨の意思表示をなした。

(五) 原告ら主張の日組合執行委員会が開かれて、これが昼の休憩時間後の執務時間に喰込んだこと、同日委員長太田不喜子名の始末書が提出されたこと、被告が原告らに対し個人として始末書を提出するよう要求したところ、原告らがこれを拒否したこと、被告が原告らに対しその主張の日その主張の意思表示をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(六) しかしながら、右解雇および減俸の意思表示は左の理由により無効である。

(1) 右懲戒処分において直接の理由とされたのは、前項掲記の執行委員会の執務時間喰込みと、これについての原告らの始末書提出拒否であるが、執行委員会が一時間余り執務時間に喰込むことは従来慣例として黙認されていたところであつて、そのために事改めて始末書を徴されたことはなく、しかも当日このために被告の業務執行に支障をきたしたことはいささかもなく、まして職務規律が乱されたということもないのであるから、右は就業規則所定の懲戒事由に該当せず、他にこれに該当する事由はない。

(2) 被告が労働組合の結成ないしその活動を嫌忌して不当な圧迫を加えてきたことは前記(四)に主張したとおりであつて、本件懲戒処分をなした后においても、原告らに指導された組合活動は過激であつたと非難して暗にそのための懲戒処分であることをほのめかし、組合員である従業員に対しては職制をつうじて岐阜一般労組からの脱退や現三役の退任を要求する署名運動をなさしめ、同年一〇月末頃には看護総主任那須幸則をして第二組合を結成させて大半の従業員を吸収し、第一組合に残留した従業員に対しては年末一時金の支給・定期昇給等において不利益に差別待遇している。

右の事実に徴すれば、被告が原告らの正当な組合活動に対する報復手段として本件懲戒処分をなしたものであることは明らかにして右は労働組合法七条一号該当の不当労働行為である。

(六) 争う。

原告らに対する懲戒事由は被告の抗告の抗弁として後述するとおりである。

(七) しかして、昭和四〇年九月当時原告太田は月額金二万八、六〇〇円の、同大沢は月額金二万二、五〇〇円の本俸を毎月二五日にその月分を支給されていたものなるところ、被告は組合からの再三にわたる処分撤回要求にもかかわらず、原告太田の就労を拒否し、同大沢に対しては減給を継続する意思を明示しているが、かくては賃金以外に収入がなく他に資産もない原告らとしてはその生活を維持することができないので、右懲戒処分の無効確認と、右処分后の昭和四〇年一〇月から雇傭契約終了にいたるまで毎月二五日限り、原告太田においては右本俸月額の、同大沢においては減給にかかる月額金二、〇〇〇円の各支払を求める。

(七) 原告らの本俸月額およびその支給日が原告ら主張のとおりであることは認めるが、その余の主張は争う。

二 答弁

二 抗弁

原告らに対する本件懲戒処分事由は次のとおりである。

(一) 組合の執行委員会・職場集会等が午後の執務時間内にわたつて開かれたことのあること、被告病院の服務規律・就業規則に被告主張の規定が存することは認めるが、その余の事実は否認する。

原告らは、組合活動のために職場を離れるときにはそれぞれの上司である職場主任にその旨を告げて承認を得、しかも非番者その他の同僚に所定の職務の代行を依頼して病院の業務執行に支障なきを期し、現実にもそれがために支障をきたさせたことはない。

(一) 被告経営の慈恵中央病院における昼の休憩時間は正午から午後雰時四五分までと定められており、医師の回診は休憩時間終了後に行われるところから、看護婦・看護人等はそれまでの間に回診の準備・同行等のための所定の勤務を課せられているところ、従来組合が休憩時間終了後の執務時間にわたつて執行委員会・職場集会等が行われる場合には、事前に病院側の承認を得るのを例とし、病院側においても業務に支障のない限りこれを承認していたのであるが、原告らが委員長・副委員長に就任してからは、原告らはこの慣例を破つて、少なくとも、昭和四〇年三月四日・同月一一日・四月一二日・五月二七日・同月三一日・六月九日・同月一二日・同月一五日・同月二八日・七月一七日・八月一三日・九月二一日の一二回にわたり、病院内において、院長ら医師の再三にわたる注意を無視して、無断で執務時間内の執行委員会・職場集会等を開いて、午後一時三〇分から同二時、甚しきは同二時三〇分頃まで職場を離脱し、このため医師の回診を行うことができず、業務に多大の支障をきたした。

ところで、執務時間中上司の承認を得ることなくみだりに職場を離れてはならないことは被告病院の服務規程七条にも定められているとおり当然のことであつて、原告らの右行為は就業規則五六条所定の懲戒(減給ないしは解雇)事由たる「正当な理由なく職務上の指示命令を拒否し業務の支障を招き又は規律を乱したとき」に該当する。

(二) 原告太田が夜勤に就かなかつたことは認めるが、その余の事実は否認する。

同原告は当初から夜勤をしないことを条件に雇傭されたのであるから、被告がこれを命じたとしても、それに従う義務はない。

(二) 原告太田は病院勤務の看護婦として夜間勤務を命ぜられたときはこれに従うべき当然の義務あるものなるところ、同原告は当初幼児をかかえていたため、被告は特別の配慮をもつて同原告が夜勤をしないのを大目にみていたのであるが、その子も小学校四年生に成長したので、昭和三八年頃から再三所定の夜勤に就くよう命じたのに対し、同原告はこれを拒否したばかりでなく、他の看護婦に対しても夜勤を拒否するよう煽動し、これに応じて現在三名の看護婦が夜勤を拒否している状態で、それも同原告に強要されてやむなく拒否しているということであり、そのため夜勤当直予定表を組んでも他の看護婦をして臨時にこれにあたらせなければならない結果になつてその不評を買い、病院業務の執行・職場の秩序維持に著しい支障をきたしているのであつて、右は前記就業規則所定の懲戒解雇事由に該当する。

(三) 否認する。

(三) 原告らは組合幹部として違法な争議行為を指導し、または自らこれをなした。すなわち

(1) 昭和四〇年四月二九日の争議において、原告らは保安上立入を禁止されている病院事務所・応接室・炊事場等に立入つて占拠し、各病棟から保安要員を引揚げさせて病棟出入口等の錠前を持去り、被告が臨時に雇入れた保安要員の就労を妨げ、某組合員にいたつては、入院中の精神病患者に対し「逃げるなら今だ」とその逃走を煽動し、そのため病院の秩序は完全に破壊された。

(2) そこで、その後被告は組合と交渉して、病院または組合が労働委員会に斡旋を申請してこれが受理されたときはその斡旋中争議行為をしない旨のいわゆる平和協定を締結したところ、原告らは、同年七月二八日夏期一時金支給問題につき被告が岐阜地方労働委員会に斡旋を申請したことを知りながら、翌二九日組合員多数の意思に反して抜打ち的にストライキを敢行し、労使間の信義則を一方的にふみにじつた。

(四) 被告主張の始末書に関する件は請求原因(五)に前述したとおりである。

(四) ところで、原告らに対する本件懲戒処分の直接のきつかけは、昭和四〇年九月二一日に行われた組合の執行委員会であるが、同日休憩時間終了後の午後二時二〇分頃まで同委員会が開かれていたことをこれに出席した看護婦から聞知した院長は、原告らに対し無断職場離脱を譴責して始末書を提出するよう命じたところ、原告らはこれに反抗して一旦拒否したが、後に原告太田から労組執行委員長名をもつてこれを提出してきたので、院長は組合から始末書を徴する理由はないから個人名をもつて提出するよう重ねて命じたのに対し原告らはこれに従わなかつたのみか、なんら改悛の情を示すこともなく、経営秩序の破壊を企図してこれを混乱させることを止めなかつた。

(五) 以上はいずれも正当な組合活動ではなく、被告はその就業規則に基いて原告らに対し本件懲戒処分をなしたものにつき、なんら無効とされるべきいわれはない。

第三 証拠関係〈省略〉

理由

一、原告らと被告との雇傭関係

請求原因(一)の事実は当事者間に争がない。

二、被告の原告らに対する懲戒処分

被告が昭和四〇年一〇月九日懲戒処分として、原告太田に対しては退職を命ずる旨の、同大沢に対しては本俸二、〇〇〇円を減給する旨の、意思表示をしたことは当事者間に争がない。

三、懲戒事由の存否

被告制定にかかる就業規則五六条に、懲戒処分としての減給ないしは解雇事由として「正当な理由なく職務上の指示命令を拒否し業務の支障を招き又は規律を乱したとき。」とする規定が存することは当事者間に争がないところ、被告は、原告らには右懲戒事由に該当する事実があつたと主張するので、以下これについて判断する。

(一)  原告らの無断職場離脱について

(1)  証人三好敬一郎の証言の一部と検証の結果とによれば、被告はいずれも閉鎖の第一、第二、第三病棟および開放の第四病棟を有していること、および原告太田は第一病棟に、同大沢は第三病棟に、それぞれ専属勤務していたものであることが認められるところ、成立に争のない甲第三号証によれば、被告制定にかかる就業規則には、病棟勤務者に対しては一時間の休憩時間が与えられる旨規定されている(五条3)ことが認められ、このことと、右証人三好の証言の一部、および原告太田本人尋問の結果によつて真正に成立したものと認められる同第八号証とを併せ考えると、病棟勤務者の休憩時間は正午から午后一時までとされていたことが認められる。右認定に反する証人平野五郎の証言部分は措信できず、他に右認定を左右するにたりる証拠はない。

(2)  ところで、昭和三六年七月二三日被告経営にかかる慈恵中央病院に、その従業員をもつて同病院労働組合が結成されたこと、原告太田が同三八年四月からその副執行委員長の地位にあり同四〇年三月その執行委員長に選任されたこと、同大沢が同三八年四月からその執行委員をつとめ同四〇年二月その副執行委員長に選任されたこと、同組合が所定の休憩時間終了后の執務時間内に喰込んで執行委員会・職場集会等を開催したことのあることはいずれも当事者間に争がなく、前顕甲第八号証と原告両名各本人尋問の結果とに弁論の全趣旨を綜合すれば、同組合は昭和四〇年九月二一日午后零時三〇分から病院内において執行委員会を開き、これが同二時二〇分頃にまで達したこと、そしてこれら執務時間内の執行委員会・職場集会等には原告らも出席してその間職場を離脱したことが認められる(被告が抗弁(一)において主張する日のうち昭和四〇年九月二一日を除くその余の日に執務時間内の執行委員会・職場集会等が開かれたことは証人平野五郎の証言をもつてしてもこれを確認できないし他に同日以外の日時を確定することのできる証拠はない)。

(3)  しかして、一般に労働者は所定の執務時間中みだりにその職場を離れてはならないことはもとより当然のことであつて、前顕甲第三号証によれば、被告制定にかかる服務規程にも「執務時間中は誠実に勤務し上司の指示あるときの外上長の承認なく濫りに職場を離れてはならない。」と規定されている(七条)ことが認められる。被告は原告らの前記の職場離脱は被告に無断でなされた旨主張するが、被告の右主張にそう証人三好敬一郎・同平野五郎の各証言部分は原告両名各本人尋問の結果に対比して措信できず、他に右主張事実を認めるにたりる証拠はない。かえつて、証人平野五郎の証言の一部と原告両名各本人尋問の結果とに弁論の全趣旨を綜合すれば、組合の執行委員会・職場集会等の組合活動は概ね昼の休憩時間中に行われていたが、議題の重大性その他の都合により時として休憩時間終了后の執務時間内に喰込むことがあり、このような場合原告らは、予め職場上司である各所属病棟の看護主任にその旨申出てその承認を得、かつ他の従業員にその職務の代行を依頼して病院の業務執行に支障なきを期し、現実にも支障を招来するようなことがなかつたため、院長をはじめとする被告理事者たちはもちろんのこと医師らもこれを黙認していたこと、そして昭和四〇年九月二一日の場合も右と同様であつたことがうかがわれるから、結局原告らの前記職場離脱は前記服務規程七条の「上長の承認」を得てなされた場合に当るものと認むべく、したがつて、これが被告の主張する就業規則所定の懲戒事由に該当しないことは明らかであるから、被告の抗弁(一)の主張は理由がない。

(二)  原告太田の夜勤拒否について

被告は、病院勤務の看護婦である原告太田は夜間勤務を命ぜられたときはこれに従うべき当然の義務があると主張するが、労働基準法上病者等の治療看護等の事業については、女子についても深夜業禁止規定が適用されない(同法六二条四項・八条一三号)からといつて、これらの事業に従事する者は当然に夜間勤務の義務があるとはいいえないところである。もちろんこれらの事業に従事する労働者との間の個別的労働契約においてその旨の約定がなされておれば格別であるが、被告は同原告との間の労働契約においてかかる約定がなされていたことについてなんら主張するところがないのみならず、同原告本人尋問の結果によれば、同原告は被告から病院勤務を勧められた当時生後九ケ月の幼児をかかえていたところから一旦これを断つたが看護婦不足に困つていた被告が重ねて懇請するので特に夜間勤務はしないという条件のもとに雇われたものであることが認められるところ、その后この雇傭条件が変更されたことを認めるにたりる証拠もないから、仮りに被告が同原告に対して夜勤を命じ同原告がこれを拒否したとしても、これをもつて懲戒事由とされる筋合ではないというべく、しかして、同原告が他の看護婦に対して夜勤を拒否するよう煽動した旨の被告の主張事実は証人後藤好子の証言および同原告本人尋問の結果にてらして当裁判所の措信しない証人宇野隆盛の証言を除いて他にこれを認めるにたりる証拠はない。

そうすると、被告の抗弁(二)の主張も理由がないこと明らかである。

(三)  原告らの幹部責任について

(1)  成立に争のない甲第一二、一三号証と証人平野五郎・同宇野隆盛の各証言の一部および原告両名各本人尋問の結果とに弁論の全趣旨を綜合すれば、前記組合はその決定に基き昭和四〇年四月九日所定の予告通知をなしたうえ、賃上げ斗争に突入し、同月二九日同盟罷業権を行使して一斉に職場を放棄したことが認められるところ、被告はその際抗弁(三)の(1)に主張するような違法争議行為があつたと主張するが、仮りにそうであるとしても、これらの行為を原告らが指導、企画し、ないしは原告ら自身によつて実行されたものであることはこれを認めるにたりる証拠がなく、しかして、労働組合がその総意に基いて行つた争議において、個々の組合員に違法行為があつたとしても、これについて責任を負うべきはその組合員の属する労働組合自身であるというべく、正副執行委員長等その機関たる地位にある組合幹部は、その地位にあるの故をもつて争議中の個々の組合員の違法行為についてその責任を負わない(もとより当該幹部自身において実行した違法争議行為について個人責任を負いうるのは当然である)ものと解するのが相当である(もつとも、個々の組合員による争議中の違法行為が組合幹部の指導ないし企画の下に生じたと認められる場合に、幹部がこれを阻止しえたのにかかわらずこれを阻止しなかつたときはその責任を負わなければならないとする説もあるが、組合幹部に個々の組合員による争議中の違法行為の発生を阻止すべき義務があるとはにわかに解しがたいから、右の説には左袒しがたい)から、これをもつて経営秩序が破壊されたとする被告の主張は採用できない。

(2)  成立に争のない甲第一四、一五号証と証人平野五郎の証言の一部および原告太田本人尋問の結果とに弁論の全趣旨を綜合すれば、前記組合は昭和四〇年四月二九日前項掲記の争議終息后被告との間に

(イ) 病院または組合は団体交渉により紛争が解決されないときは、岐阜地方労働委員会に斡旋を申請することができる。

(ロ) 病院または組合が(イ)の斡旋を申請したときは、他方はこれに応ずるとともに、双方誠意をもつてその解決に努力しなければならない。

(ハ) 病院または組合は(イ)の申請が受理された場合、斡旋中は争議行為を行わない。

とする協定を締結したこと、組合はその決定に基き同年七月一二日所定の予告通知をなしたうえ、夏期一時金支給斗争に突入し、数次の団体交渉を重ねたが、妥結せず、そのため被告は同月二八日岐阜地方労働委員会に斡旋を申請して同日受理されたことが認められるところ、被告は、原告は翌二九日右協定に違反して争議行為を行つた旨主張するが、右主張にそう証人平野五郎の証言部分は原告太田本人尋問の結果に対比して措信できずかえつて右原告本人尋問の結果によれば、同日行われた団体交渉の席上被告の労務担当理事がストをやるなら勝手にやるがよいと放言して中途で退席してしまつたため、憤激した組合員らが一時騒然としたが間もなく平穏に復したものであつて、なんら争議行為と目すべきものは存しなかつたことが認められるから、被告の右主張は理由がない。

そうすると、被告の抗弁(三)の主張もまた理由がないというべきである。

四、懲戒処分の不当労働行為性

前顕甲第八号証・原告大沢本人尋問の結果および弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる同第九号証および同第六号証の一、二、・第七号証と原告両名本人尋問の結果とを綜合すれば、原告らが正副執行委員長に就任してからの組合は前記昭和四〇年四月の賃上げ斗争および同年七月の夏期一時金支給斗争をつうじ、上部団体である岐阜一般労働組合の支援を得て急激に斗争的色彩を強めていつたところから、被告理事者らはこれに困惑し、同年八月一三日頃組合に対し、病院側においては労務担当理事を更迭するにつき組合においても三役辞任されたい旨申入れ、併せて看護総主任那須幸則ら各職場主任級の従業員をつうじて一般組合員に対し、現組合三役の斗争的指導方針をもつて組合活動が続けられるならば、病院経営は行きづまつていずれは閉鎖するのやむなきにいたり、かくては全員解雇しなければならなくなると、暗に組合三役の解任ないしは組合からの脱退方を勧奨しはじめたので、組合は数次の執行委員会を開いてこれが対策につき協議を重ねていたところ、たまたま同年九月二一日の執行委員会が前認定のとおり昼の休憩時間終了后の執務時間に喰込んで続行されたことから、院長浦島誠司は即日原告らに対し前例のない始末書の提出を要求し、これに対して原告らは執行委員会に諮つて一旦拒否したものの、結局これに応ずることとし、同年一〇月四日執行委員長太田不喜子名義をもつて始末書を提出したところ同院長は一旦これを受理しながら翌五日にいたつて原告らに対し、執行委員長名で困るから個人名で始末書を提出するよう要求したので、原告らは再度執行委員会に諮つたうえ組合役員として執行委員会を開催しこれに出席したのであるから個人としての責任を問われるのは不都合であるとの結論に達し、その旨院長に伝えて拒否したところ、院長は同月九日原告らに対し本件懲戒処分をなすにいたつたものであることが認められる。右の経緯に、成立に争のない甲第四号証、前記各証拠を綜合して認められるところの、被告が右懲戒処分をなした当日、各従業員宛に、従来の組合活動が悪質にして過激に走つたことを非難し、不良分子を一掃すべく本日処分を発表したにつき、今后は労使協調して再建方協力をされたい旨記載した文書を配布したこと、その后間もない同月末日頃前記那須幸則を執行委員長とする第二組合が結成されて、同年末の一時金支給においては第一組合に残留した者を不利益に差別待遇したことなどを併せ考えれば、被告が原告らの始末書不提出に藉口し、その正当な組合活動をなしたことを理由として本件懲戒処分をなしたことは自づと明らかであつて、右の処分は労働組合法第七条第一号にいう不当労働行為であるといわなければならない。

五、懲戒処分の無効

そうとすれば、被告の原告らに対する本件懲戒処分はいずれもその事由を欠き、かつ不当労働行為であるから、無効である。

六、原告らの賃料請求権

本件懲戒処分は叙上説示するとおり無効であるから原告らは被告に対し所定の賃金の支払を請求しうるものというべきところ、原告太田が昭和四〇年九月当時本俸月額二万八、六〇〇円を支給されていたことは当事者間に争がなく、しかして、成立に争のない甲第一〇号証の二に弁論の全趣旨を綜合すれば、同年七月および八月における同原告の本俸月額も右と同一であつたことが認められるところ、原告らが、毎月二五日にその月分の賃金の支払を受けていたことは当事者間に争がないから、特段の事情がない限り原告太田は同年一〇月一日以降一ケ月宛右三ケ月間の平均月額本給である金二万八、六〇〇円宛、また同大沢は同日以降一ケ月宛減給にかかる金二、〇〇〇円宛、それぞれ毎月二五日限り支払うべきことを請求しうべく、しかして、被告が本件懲戒処分の有効であることを主張してゆずらない本訴の実情にかんがみれば、被告は本判決が確定してもなおかつ任意に将来の支払をなさないおそれがあると認められるから原告らは被告との雇傭関係が終了するにいたるまで将来の請求として右の支払を求める必要もまた存するものというべきである。

七、結論

以上の次第で、原告らの本訴請求はいずれも、正当としてこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 丸山武夫 川端浩 金野俊雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例